2012年08月28日

塩竈と源氏物語のつながりについて

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しおがま亀井邸修復支援募金に関しましては

下記のリンクをご覧いただければと存じます。

http://kameitei.da-te.jp/e444653.html

http://blog.canpan.info/minatoshiogama/daily/201109/10
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※ NPOみなとしほがまボランティアガイドの会
  の活動についてはコチラをご覧ください。
  http://kameitei.da-te.jp/d2012-05-25.html
 

 ようこそ、いらっしゃいませ。

今回は「なぜ塩竈で源氏物語なのか?」について

少しご説明します。


 源氏物語の主人公『光源氏』は実在の人物をモデルにしているといわれていて、その一人が『源融(みなもとのとおる)』です。

源融は嵯峨天皇の皇子で様々な役職を歴任しましたが、その内の一つに『陸奥出羽按察使(むつでわあぜち)』というものがありました。これは現代だと東北地方の行政官のトップのようなものと考えると分かりやすいでしょうか。

源融が生きた時代は今から1150年前くらいです。その当時、東北地方の国の施設は多賀城にありました。現在の多賀城政庁跡になります。そして塩竈は政庁に続く海の玄関口でした。

その時代の塩竈の港は今とは全く違う地形で、とても入組んだものだったそうです。どれほど違うかというと、現在の鹽竈神社の表坂の下辺りまで入り江になっていたそうです。

源融は現在の鹽竈神社表坂の対面にある丘、今は塩釜高校が建っている場所辺りから海を眺め、その景色を大変気に入り別邸を築いたという言い伝えがあり、その場所には『融ヶ丘』という名前がついています。

また、入組んだ地形の浜辺では塩作りが盛んに行なわれ、海水を煮詰めているときに出る煙が幾筋も立ち昇っていたといわれています。源融はその塩作りの煙も含めた塩竈の港の景色を忘れる事ができなかったそうです。

その後、京都に戻った源融は『六条河原院(ろくじょうかわらのいん)』という広大な邸宅を築き、その庭園は塩竈の港を模して作ったそうです。更にそこでは塩竈で行っていた塩作りまで再現していたといわれています。

ただ、源融は実際に多賀城の政庁や塩竈には来てはおらず、遥任(代理の人を派遣した)だったという説があります。また当時のことを記した様々な書物にも、源融が実際に多賀城政庁や塩竈を訪れたという記録はありません。

しかし、来ていないと明確に記された書物もないという事もあり、この辺りは歴史のミステリーといえるかもしれません。

以上が塩竈と源氏物語の関係です。このような背景や歴史の流れも併せて今回の源氏物語展をご覧いただければと思います。

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●.イベント:『~塩竈復興祈願~
           日本刺繍による源氏物語展』




●.会  場:塩竈市宮町5番5号
        (鹽竈神社の東参道(裏坂)と呼ばれる場所の途中に
         あります。開館中は看板が出ており、入り口の大きな
         門が開いています。)
        
        ※.こちらの説明を参考にしていただければ幸いです。

        亀井邸までの道案内、東北本線塩釜駅ルートその(1)
        亀井邸までの道案内、東北本線塩釜駅ルートその(2)
        亀井邸までの道案内、東北本線塩釜駅ルートその(3)
        亀井邸までの道案内、JR仙石線本塩釜駅ルート  

       ※ 亀井邸には駐車場がありません。
        お越しの際は公共交通機関を
        ご利用いただきますよう
        お願い致します。
 


●.開催期間:平成24年8月20日(月) ~ 9月10日(月)
              
●.開館時間:10:00 ~ 16:00
      
●.入 場 料:200円 (※ 高校生以下は無料)

●.主 催:日本刺繍協会

●.共 催:NPOみなとしほがま

●.問合せ先:電話 022-364-0686 (亀井邸)
         電話 080-5711-9433(日本刺繍協会・大西)

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また、歴史的な背景をもっと深く知りたいという方はぜひ『亀井邸発 神社・まち歩きガイド』をご利用ください。更に詳しくご説明・ご案内いたします。






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塩竈と源氏物語のつながりについて